Story of the Caribbean
トリニダードで迎えた 2011年3月11日

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カリブ海も地震が頻繁に起きる地域です。2010年1月のハイチ地震は記憶に残っている方も多いでしょう。

その約1年後の2011年3月11日、東日本大震災が起こったとき、私はトリニダードにいました。

前の晩、寝付けなく、明け方になってやっと眠りに落ちて爆睡中、当時借りていたアパートのドアをガンガン叩く音と私の名前を連呼する大声で、やっと目が覚めました。たぶん、午前11時頃だったと思います(日本は翌12日の午前0時頃)。

フラフラとドアを開けると、友人と近所の方々が総出でいらっしゃいました。

寝起きの寝癖でライオンのようになっている頭で部屋から出てきた私を、近所の方々は、”Oh good! She’s just sleeping” とか、”Thank god! You are good!”とか、さまざまな事を言いながら迎えてくださいましたが、私がただ寝ていただけだとわかると、みなさま散り散りに、安心したようにそれぞれの部屋に去っていきました。どうやら私に大変なことが起こっているのではないかと思われていたようです。

その場に1人残された友人が、やけに真剣で悲しい顔をしていることに気づいて、まだ半分眠っている脳で、何か大変なことが起こったのかな、くらいに思ったのを覚えています。

そして友人の口から、落ち着いてよく聞いて欲しい、日本でとても大きな地震が起こって、津波が来て、壊滅的な状況で、たくさんの人が犠牲になっているらしい、ことを聞きました。たしか “totally destroyed”(完全に破壊された)という発言があったと記憶しています。

東京生まれで、田舎がない者の多くは、「日本=東京」というずうずうしい公式が頭にあるのは事実です。このときも、日本totally destroyedということは、東京壊滅、親兄弟、家も全部壊滅、と頭に浮かび、ガタガタ震え出しました。実家に電話しようとするも、手が震えてスマホ操作ができなく、またパニックで実家の電話番号が思い出せなく、スマホの登録電話番号を探そうとするも、探し方がわからなくなっていて、アワアワ浮ついてしまい使えない人間でした。見るに見かねた友人に、シャワールームに連れていかれ、冷水を頭からかけられて、やっと落ち着いて、何をすべきか、頭がしっかり動き出したのを覚えています。

やっとスマホ操作ができるまで落ち着いたら、143件もトリニダードの友人・知人から不在着信とメールがあったことに気づきました。母からも、「ママとパパは生きています」という1行のメールが来ていて、やっとホッとしたのを覚えています。

当時借りていたアパートは、テレビはインテリアとしてありましたが、映像も音声も入ってこないただの箱でした。友人の職場に連れていってもらい、テレビで延々と流れる津波の映像を、職場の人とずーーーっと何時間も見ていました。誰も働いていませんでした。今日の仕事は日本の津波映像を見ること!とでもいうように、みーーーんなテレビの前に陣取っていました。

このときやっと、大きな地震被害に遭ったのは東北の太平洋側だということ、東京も建物の被害は少ないけれど公共交通機関はすべてストップしているということ、がわかりました。でも多くのトリニダード人にとっては「日本」壊滅でした。

その日、トリニダードのテレビ局は、CNNやBBCのニュース番組を放送していました。それからもこの地震関連のニュースはCNNかBBCのニュースのキャリーでした。地震発生数日後からBBCに日本から盛んに出演されていた、当時の駐日英国大使の姿をまだ覚えています。アメリカやイギリスのテレビスタジオから、やや煽るように報道するキャスターではなく、現地から冷静に論理的に話す大使の姿は、現地の情報に飢えている海外にいる者にとって、本当にありがたかったです。

トリニダードのラジオ局でDJをしている友人から、日本の家族の安否やら日本の状況で知っていることを聞かれて、両親は無事で、まだ弟と連絡が取れていないこと、実家の上下水道が止まっていることを伝えたら、その回答をまるまるラジオで放送していました。その放送後、会う人会う人から、面識のない人からも、弟さんは見つかった?大丈夫だった?と聞かれるようになり、ラジオ放送の情報発信力を目の当たりにしました。後日、震災当日、弟は職場に泊まり、翌日普通に仕事をし、その夕方、数時間かけて歩いて帰宅したことも伝えました。それは、こんなに大きな震災があった翌日にも働く日本人、すげー!トリニダード人だったら数週間は働かないよな、いや数ヶ月だろ、だよな、わはは、日本人respect!!という流れで放送されていました。

そして翌12日、すべてのトリニダードの日刊紙の1面を飾ったのは「日本壊滅」の大きな文字。

トリニダードの政府は、原発がやられてしまい火力発電を活発化するのであればLNGを譲る準備があります、と発言した他、移民局では無条件で滞在ビザを延長してくれました。そしてアメリカン航空トリニダード・オフィスでは、日本を最終目的地とする航空券であれば、変更不可能な航空券でも、帰国便の変更を何回でも可能にしてくれて、またその変更手数料を何回でも無料にしてくれました。

この大震災を機に、トリニダードでも地震への対策について一瞬だけ話が盛り上がりましたが、一般の人々の関心も一瞬で終わりました。津波で家が壊れることなく流されている映像を見ると、地震や津波では家は壊れない、という印象を残してしまったのも残念です。厳しい耐震建築基準、それを遵守すること、遵守しない場合の罰則があって、だから家が壊れずに流されているのです、という話には、へぇすごいわね、くらいの反応しかありませんでした。

数日前、バルバドスの新聞に、”Tsunami Drill”(津波が来たときの訓練)と題した写真が載りました。その写真には、机の下に潜り込んでいる人たちの姿がありました。いや、、、違うよね? 地震と津波の関係性、地震があったらまず何をして、津波のときには何をするか、地震訓練と津波訓練の違いを知る事は重要です。防災教育も環境教育と同じで、小さな子どものうちから始めるのが効果的なのではないでしょうか。このTsunami Drillの記事を書くような報道関係者にも、間違った情報を国民に伝えないためにも、教育は必要です。